東京国立博物館で特別展「キトラ古墳壁画」が始ります。
開催期間は4月22日(火)~5月18日(日)です。
キトラ古墳とは?
キトラ古墳は高松塚古墳の南約1Kmにある円墳です。
高松塚古墳とほぼ同時代か高松塚より少し古くて、7世紀後半~8世紀前半と言われています。
キトラというのは不思議な地名ですが、語源については、
- 「北浦」が訛ってキトラとなった説
- 墓荒らしが古墳中を 覗いた時、壁画の亀と虎が見えたので、亀虎からキトラになったという説
などがあります。
私の素人考えだと「北浦」が訛ってというのはちょっと考えにくい気がします。
「浦」というのは水の近くという意味がありますから。
キトラ古墳の近くには象徴的な川や湖は無いですから。
「北浦」は奈良県内だと法隆寺の近くに「北浦」という地名はあります。
そこは大和川の近くで、大和川というのは割りと大きな川ですので地名に浦がつくのは腑に落ちます。
「壁画の亀と虎が見えたので、亀虎からキトラになったという説」の方がロマンがありますしね。
1978年頃、村道の工事中に古墳の一部が発見され、その後、高松塚古墳のような極彩色の壁画が見つかり注目されました。
壁画が白黒でなくて彩色、極彩色となると、絵具を作る技術や色で表現する技術が発達しているということですから高い文化を持っていたことが分かります。
今後は、2016年にキトラ古墳の近くに保存・公開用の施設を作ってそこで見れるようにする予定です。
しかし、その施設の中に入れると施設の構造的に簡単には持ち出せなくなるので、キトラ古墳まで行かずに見れるのは最後になるかもしれないそうです。
壁画の四神(しじん)
キトラ古墳は古墳の東西南北の4つの壁にそれぞれ青龍、白虎、朱雀、玄武の四神が描かれています。
白虎
四神の下にさらに十二支の動物の顔で人間の胴体、手にはそれぞれ武器を持った獣頭人が描かれています。
獣頭人がそれぞれ武器を持っているのは埋葬者を護るためで、中国にも朝鮮半島にも無い日本独自の壁画だそうです。
また、天井には星宿図(星座の図)が高松塚や同じ時代の中国の星宿図よりも高度な天文学を基に描かれています。
同じような星宿図は中国では13世紀になって登場するので、当時の日本にいかに高度な天文学があったかが分かります。
今回の展示会では、「四神」のうち、白虎、玄武、朱雀、「十二支」のうち、子(ね)、丑(うし)、寅(とら(レプリカ))、天井(レプリカ)の壁画が公開されます。
さらに、刀、まが玉、金や銀で装飾された埋葬品などが展示されます。
関東以遠の歴史ファンには見逃せない展示会です。