土井たか子さん死去。社会党党首としてマドンナ旋風を起こす。

土井たか子さん死去

土井たか子さんが20日に死去されていたことが今日(28日)明らかになりました。

最近、姿を見せないので、現在はどうしているのかと思っていた方も多いと思います。

弱体化した社会党の党首を引き継ぎ、自民党を野党に追い落として政権を取るまでに強力にしたかと思うと、自民党と組んで連立政権を誕生させ、またそれが一因となり、社会党解党に進んだという波乱万丈の人生でしたね。

土井たか子

参照;wikipedia

女性初の社会党党首

土井たか子さんが社会党党首となったのは、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙で社会党が惨敗、自民党が圧勝し、社会党・石橋政嗣委員長の引責辞任を受けてのことでした。

当時の野党の党首は委員長といっていたんですね。

時代の流れを感じます。

社会党が支持されなかったから惨敗したわけではありません。

当時は社会党、公明党、民社党で社公民という野党の協力体制を組んでいたので、もし、衆参同日選挙があったら野党は選挙協力ができず、自民党が圧勝すると予想されていました。

その予想通りに自民党が圧勝し、社会党は大打撃を受けました。

その後を引き継いで土井さんが、社会党党首に就任。

女性初の政党の党首でした。

Sponsored Link

マドンナ旋風

しかし、その後、大勝した自民党に奢りが出たのでしょうか。

リクルート事件や消費税導入のゴリ押しを進め、竹下内閣は支持率が消費税と同じ3%にまで下落

竹下内閣の後を受け継いだ宇野総理が今度は女性問題を起すなどガタガタになりました。

そこへ土井さんが、それまでの国政のしがらみが無い女性を大量に擁立、世論の支持も受け、当選させます。

「山が動いた」「ダメなものはダメ」という名言も生まれ、後にマドンナ旋風と呼ばれました。

それが一因となり、自民党は衰退。細川政権誕生につながります。

マドンナ旋風から25年

マドンナ旋風は1989年の第15回参院選でした。

それから25年。

現在は自民党の安倍内閣が高支持率を受け国政を担っています。

安倍政権はスキャンダルも失言も無く約2年続いています。

大きな失政も無いですし、支持率が10%や3%に落ちるまでやりたい政策をゴリ押しすることもなくなりました。

政権を取ったり取られたりを繰り返しながら学習してきたのでしょう。

政権を取ったり取られたりの相手になる強力な野党があって与党も姿勢を正すのだと思います。

しかし、今は自民党一強で野党は分散してしまいましたね。

今はまだいいですが、消費税や原発問題などまた自民党に奢りが見え隠れしてきている気がします。

再び野党を集結させて引っ張るかつての土井さんのようなリーダーが必要とされて出てくるかもしれませんね。

土井さんは今の日本を見てどう思っているでしょうか。

ご冥福をお祈りします。

ad
Sponsored Link
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です