西条祭り始まる。だんじりの歴史、さのさ節の歌詞などについて

西条祭り2014

今年(2014年)の西条祭り、10月14日から始まります

正確には11日から始まってるのですが。

西条祭りは、愛媛県西条市のお祭りで、市内にある4つの神社、嘉母神社、石岡神社、伊曽乃神社、飯積神社、の祭礼です。

この時期に4つの神社の祭礼が集中して行われるので、これらの祭りの総称として西条祭りといいます。

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西条市民にとっては無くてはならない祭りで、西条祭りに参加するために西条市内に就職したり、西条市内の会社でも西条祭りの日が休みになる会社に就職を希望する人がいるほどです。

千の風で有名な歌手の秋川雅史さんも西条市出身で、西条祭りの日には必ず帰るそうです。

西条祭り

だんじりの歴史

西条祭りで欠かせないのがだんじり

だんじりとは、山車(だし)のことで、地方によって曳山(ひきやま)、屋台(やたい)、祭屋台(まつりやたい)、舁き山(かきやま)、山鉾(やまほこ)、山笠(やまかさ)、御輿屋台(みこしやたい)などとも呼ばれますが、西条では「だんじり」といいます

いつ頃から始まったかはよく分かってないのですが、石岡神社の別当寺として西条市内に吉祥寺というお寺があります。

別当寺とは、神社とは別に当たるお寺という意味です。

昔は神道と仏教の区別がはっきりしなくて一体となっている面もあったので、一つの地域で神社とお寺があってその神社の神主とお寺の住職を1人の人が兼任してることもよくあったのです。

現在でもお寺の名前で神宮寺とついてるお寺があるのはその名残なんですよ。

今から250~300年くらい前、その吉祥寺の住職が河内国(今の大阪)の誉田八幡宮のお祭りで、だんじりを見て西条でも始めたのが西条祭りのだんじりの起源として有力な説になっています。

現存しているだんじりは、昭和後期や平成に作られただんじりが多いですが、安政2年(1855年)以前、安政3年(1856年)、明治23年、大正11年、昭和3年、などに作った古いだんじりもあります

さのさ節の歌詞

だんじりを曳く時に太鼓や鉦(かね)を鳴らすのに合わせて歌を歌いながら曳くのですが、その時に歌われるのがデカンショ節、伊勢音頭、さのさ節などです。

さのさ節とは、1897年(明治30年)頃から全国的に流行した流行歌です。

歌詞が「さのさ」という囃子詞(はやしことば)で終わるのでさのさ節といいます。

江戸時代の終わり頃(1820年頃)から長崎に当時貿易していた清から清楽(しんがく)が入ってきました。

その後、長崎で清楽を元にした法界節(ほうかいぶし)という歌が生まれ、明治23~24年(1890~1891)ごろ長崎から全国に流行りました。長崎節とも言います。

法界節を元に作られて1897年(明治30)頃から流行したのがさのさ節です。一節の終わりに「さのさ」という囃子詞(はやしことば)がつくのが特徴ですよ。

西条祭りとは相性が良かったのか今でも西条祭りで歌われています。

歌詞は明治後期の当時の世相を表した歌詞になっています。

何番か(15番以上?)あるのですが、

今しばし 文もよこすな便りもするな

僕の勉強の邪魔になる 晴れて卒業のね

暁には 天下晴れての 僕の妻 さのさと

と言った歌詞などです。

動画を見つけましたのでご覧下さい。(音量注意

動画で歌っている歌詞は、

あらまあできた 今日の祭りの宮出しに

二人によく似た男の子 妻に似たならね

天才児 僕に似たなら 屋台かき さのさと

の途中からと、

恋結び 蝶よ花よと育てた娘

今日は他人の嫁に行く 名残惜しさにね

見送らぬ 今度来るときゃ 孫連れて さのさと

の歌詞を歌っています。

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