ウズベキスタンってどんな国?治安、世界遺産、観光などについて

ウズベキスタンってどんな国?

サッカーJALチャレンジカップ2015 日本対ウズベキスタン戦が今夜(3月31日)行われましたね。

ウズベキスタンは中央アジアの旧ソ連の国ですが、あまり馴染が無いのでどんな国か調べてみました。

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ウズベキスタンは人口約3000万人

面積は約45万km2

日本が約47万km2なので、ほぼ日本と同じ面積ですね。

ウズベキスタンの一番の特徴は二重内陸国であるということです。

つまり、海が無い国でウズベキスタンの隣の国々も海が無く、さらに隣の国がようやく海があるという、言い方を変えると2回国境を渡って海のある国に出るということです。

このような二重内陸国の国は現在(2015年3月)ではウズベキスタンとリヒテンシュタインだけです。

リヒテンシュタインはドイツやスイスの隣にある国です。

そのため、一生のうちで一度も海を見ない人も多いそうです。

政治は、大統領制で現在の大統領は、イスラム・カリモフ大統領です。

首都はタシュケント

言語はウズベク語で、中国の新疆ウイグル自治区などに住むウイグル族の言葉にロシア語、アラビア語、ペルシア語の特徴が混ざったような言葉です。ウズベク語以外にロシア語も使われます。文字はロシアと同じキリル文字を使います。

宗教は人口の90%がイスラム教、約5%がロシア正教です。

通貨の単位はスムで、1スム=0.05円くらいです。

気候は、大陸性気候で雨は少なく、寒暖の差が大きいです。東京の年間雨量が約1500mmなのに対してウズベキスタンは100~200mmくらいです。雨が少ないため、砂漠も多いです。また、夏の最高気温は平均約40度まで上がりますが、冬の平均最低気温は約-20度にもなります。

産業としては、金埋蔵量が世界第4位、石炭埋蔵量は世界第10位、ウラン生産量は世界第7位であるのをはじめ、石油や天然ガスも出るなど地下資源が豊かな国です。

タンの意味は?

あと、ウズベキスタンやトルクメニスタンで気になるのは、「タン」の意味ですね。

日本語だと可愛い感じがして時々話題になりますが。

実際には「タン」はペルシア語で「国」という意味で、ウズベキスタンは「ウズベク民族の国」と言う意味です。

治安

治安は、2009年にタシケント市内で武装グループと警察との銃撃戦があった後は比較的落ち着いていますが、貧富の差の拡大してきて、金品をねらう強盗などが増加する傾向が見られるそうです。

また、タジキスタン、キルギスとの国境付近の山岳地帯や、アフガニスタン国境付近はゲリラがいて危険だそうです。まあ、その辺りは観光地も無いですし、行く機会は無いと思いますが。

世界遺産、観光など

ウズベキスタンはかつてはシルクロードの要衝にあり、東西文化が融合する地でした。

現在では、

  • サマルカンド‐文化交差路
  • ヒヴァのイチャン・カラ
  • ブハラ歴史地区
  • シャフリサブス歴史地区

の4か所が世界遺産に登録されています。観光もこの4か所が中心になります。

ツアーはHISなどから出ています。

サマルカンド‐文化交差路

特にかつての首都・サマルカンドは「青の都」と呼ばれ、現在、「サマルカンド‐文化交差路」として世界遺産に登録されています。

サマルカンドで最も有名なのはレギスタン広場でしょう。レギスタンは「砂の場所」という意味で、広場の左側にはウルグ・ベク・マドラサ、右側にシェル・ドル・マドラサ、中央にはティリャー・コリーモスクマドラサと、3つのマサドラ(神学校)が建っています。

3つの中ではウルグ・ベク・マドラサが最も歴史があり、優秀な人材を輩出したと言われています。

他には、この地にティムール帝国を築いたティムールとその家族の霊廟(お墓)であるグーリ・アミール廟も有名です。

グーリ・アミールはペルシア語で「王の墓」の意味で、ティムール、息子のシャー・ルフやミーラーン・シャー、孫のウルグ・ベクとムハンマド・スルターン、ティムールの師・サイイド・バラカのお墓があります。

また、ビビハニムモスク(ビービー・ハーヌム・モスク)は、ティムールがインド征服後、インドから持ち帰った石で建設し、妻の名ビビハニムを付けたと言われています。

ウズベキスタン

サマルカンドのビビハニムモスク

ヒヴァのイチャン・カラ

ヒヴァのイチャン・カラは、ヒヴァ市の旧市街のことです。外敵から守るために市街地を城壁で囲っており城壁の中の市街地をイチャン・カラと言っています。日本語では内城と呼ばれることもあります。

14世紀頃に建造された都市で、日本では、室町時代頃になります。

イチャン・カラ

引用;wikipedia

ブハラ歴史地区

ブハラはウズベキスタン中部にあるブハラ州の州都で古代から繁栄したオアシス都市です。

9世紀のサーマン朝ペルシアの首都で、その後もたびたび首都がおかれました。日本では平安時代中期の頃ですね。

紀元前5世紀頃から城壁で囲んだ要塞都市があったとされ、その歴史ある旧市街地が世界遺産となっています。

ブハラ

引用;wikipedia

シャフリサブス歴史地区

シャフリサブスはサマルカンドから南へ約80kmにある地方小都市です。

小さな町ですが、ティムール帝国を築いたティムールが生まれた町として有名です。

シャフリサブスはペルシア語の「緑の町」の意味で、シルクロードの途中の緑あふれるオアシスの町でした。

玄奘三蔵の「大唐西域記」にも羯霜那(クサナ)国の名で出てきます。

シャフリサブス歴史地区

引用;wikipedia

おしまいに

ウズベキスタンは歴史のある豊かな文化の国なんですね。

少し治安が心配ですが、まだツアーが出ていますから気を付けて行けば大丈夫でしょうか?

青の都・サマルカンドなどは一度は行ってみたい場所です。

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